昔の私は、どちらかというと、
人に話しかけることをためらわないタイプでした。
例えば、友達とアメリカに旅行に行ったときも、
英語なんてほとんど話せないのに、
単語とジェスチャーだけで、
平気で現地の人に話しかけていました。
それを恥ずかしいと思ったこともありませんでした。
むしろ、そうやって誰かと関わることが、
自然にできる自分でした。
けれど――
子育てが始まってから、
その感覚は少しずつ変わっていきました。
周りには、しっかりしていて、
何でもできる“立派なお母さんたち”がたくさんいて、
その中でふと、
「私は、何もできない人間なんじゃないか」
そう思い知ってしまった瞬間があったのです。
そこから、
「自分は恥ずかしい人間だ」
「バカな人間だ」
そんなふうに思うようになりました。
それでも、子どものために、
お母さんたちとの関わりは続けていました。
もともと、人を楽しませることは得意だったので、
場の中では明るく振る舞い、
自然と受け入れられていました。
表面上は、うまくやれていたのです。
でも心の中では、いつも比べていました。
「あの人はすごく優秀だ」
「あのママはしっかりしている」
「それに比べて私は…」
そう思いながら人と接することは、
想像以上に消耗するものでした。
家に帰ると、
どっと疲れて動けなくなる。
そんな状態が、当たり前になっていきました。
やがて、
人に会うこと自体が怖くなっていきました。
息子が小学校に上がる頃には、
「もう、誰とも関わらないようにしよう」
そう思うようになっていました。
それまでの自分では、考えられないことでした。
授業参観も運動会も、
人と会わない時間を選んで行く。
みんなが集まる時間は避けて、
少し遅れて行って、終わった瞬間に帰る。
誰かに会いそうになったら、
さっと別の道に入る。
そんなふうにして、
人を避けながら生きるようになっていったのです。
▶この苦しさの始まりはここにありました。
👉「やる気が出ない、なにもしたくない」
あの頃の私はこちらです。
それは、幼稚園、小学校、中学、高校と、
15年もの間、続きました。
それでも――
もしばったり会ってしまったら、
いつもの自分が出てきます。
相手を楽しませるように話して、
笑い合って、
だから周りの人には、
私がそんなふうに生きているなんて、
気づかれることはありませんでした。
でも実際は、
ゴミ出しすら、
誰にも会わない深夜の時間を選んで行くほど、
人に会うことが怖くなっていました。
そんな状態が、高校に入ってからも
2年近く続いていました。
けれど――
あるとき、その氷が溶けたのです。
ふと、
「私は私でいいし、相手は相手でいい」
そう思える瞬間がありました。
よくよく考えてみたら、
私が“すごい”と思っていた人たちは、
ただその人が好きなことをやっているだけ。
勉強が好きだから勉強している。
料理が好きだからやっている。
それだけのことでした。
そして、
私も、好きなことなら頑張れる。
ただ、勉強や料理や掃除が好きじゃないだけ。
それだけの違いでした。
そう思えたとき、
「誰かがすごくて、自分がダメ」
という考えが、すっと消えたのです。
みんな同じ。
好きなことをやっているだけ。
そう思えた瞬間から、
人との距離が変わりました。
どんな人が相手でも、
「一対一の人間」として
自然に話せるようになりました。
子どものことで悩んでいるお母さんに、
自分から声をかけたり、
夫婦関係で悩んでる方の話を聞いて、
一緒に考えたり、
以前の私なら、
「私なんかが…」と思って
絶対にできなかったことです。
でも今は、
相手がどんな経歴でも関係なく、
同じ悩みを持つ一人の人として、
自然に関われるようになりました。
もともと私は、人が好きでした。
人の話を聞いて、
一緒に考えることが好きだった。
悩みが消えたその人の、
喜ぶ顔を見るのが
自分ごとのように嬉しかった。
長い間、
私はそんな自分を見失っていました。
でも今は――
本来の自分で、
人と向き合うことができています。
そしてーー
あの頃、私の中で何がおきていたのかは、
次の記事で書いていこうと思います。
▶あの頃の自分からは想像できないくらい、
今は軽く人と関われるようになりました。
というより、もともとの自分に戻った、
そんな感覚です。
👉そんな今の私のことはこちらにまとめています。
