夫婦関係が限界だと感じていたある日、
クミコさん(仮名)は、夫から離婚を告げられました。
彼女は、自分から別れを切り出すことはあっても、
まさか相手から告げられるとは思っていなかったと言います。
どこかで
「最後はきっと、私が決める側だ」
そんな自信があったのかもしれません。
その瞬間、初めて強い焦りを感じました。
何度も謝りました。
涙ながらに気持ちを伝えました。
けれど、夫の決意は揺らがなかった。
「男性が決めた決断は固い」
どこかで聞いたことのある言葉が、
頭の中をよぎったと言います。
時間だけが、静かに過ぎていきました。
クミコさんは、
その時になって初めて気づきます。
自分は不満ばかり口にしてきたけれど、
本当は、夫を愛していたのだと。
これまでに二度、
自分から別れを切り出したことがありました。
でも、それは本気ではなかった。
ただ、行動を変えてほしかった。
わかってほしかった。
謝られれば、すぐに受け入れていた。
けれど、夫は違いました。
何度謝っても、
涙を流しても、
期限は決められたまま。
そこで彼女は、ようやく気づいたのです。
「相手を変えようとしてきたけれど、
変わるべきは自分だったのかもしれない」
そして、私のもとを訪れました。
当たり前だと思っていたその行動は「反応」だった
彼女は、私と話す中で、
自分では「普通」だと思っていたことを、
少しずつ語り始めました。
まず出てきたのは、
「ありがとう」が言えないということでした。
子どもが食器を洗ってくれても、
夫がお風呂を掃除してくれても、
「洗ってくれてたんだね」
とは言うけれど、
「ありがとう」は出てこない。
私が
「なぜありがとうと言わないのですか?」
と尋ねると、
「家族間で、そんなに頻繁に言いますか?」
と、当たり前のように答えました。
けれど深掘りしていくと、
彼女は幼い頃、お母さんから
「ありがとう」と言われた記憶が
ほとんどありませんでした。
母子家庭で、
小さな体で留守番をし、
妹のお世話をし、
料理や掃除をして待っていても、
「ありがとう」はなく、
「当たり前でしょ」だった。
まだ赤ちゃんだった妹のために、
小さかったクミコさんは、自分のお小遣いで
おもちゃを買ってプレゼントしたときも、
返ってきたのは「こんな無駄使いして!」
という叱責でした。
彼女は、家族のためにしてあげても、
ありがとうではなく「当たり前」と言われ、
ときには「無駄なこと」と怒られた記憶が
眠っていたのです。
だから、クミコさんの中には無意識に、
「家族なんだから、やって当たり前。」
「この程度のことで、ありがとうと言われると思うな。」
という、怒りにも似た感覚が静かに残っていたのです。
だから喉まで出かかった「ありがとう」は、
いつもそこで止まってしまう。
それが彼女にとっての“普通”でした。
⸻
旅行でも同じことが起きていました。
「お母さん、つまらなそう」
と子どもに言われたことがあるそうです。
けれど本人は楽しんでいるつもりでした。
ただ、
どこへ行きたいとも言わない。
調べもしない。
ナビも入れない。
表情は、笑うこともなく無表情。
「私、そういうの苦手なんです。
どこ行きたいか聞かれても、なんだか
頭がストップして、考えられないんです。
夫と子どもが全部やってくれるし。」
クミコさんは、そう話してくれました。
でも深掘りしていくと、
彼女は幼い頃、楽しそうにすると叱られていたのです。
「うるさい」
「静かにしなさい」
「そんなに騒ぐなら部屋にいなさい」
楽しいときに楽しそうにすると怒られる。
その記憶が、
家族との時間にも静かに発動していました。
⸻
さらに、クミコさんは、
「言われなくても察してほしい」気持ちが
とても強くありました。
家族のために黙って尽くす。
でも、それをわかっていてほしい。
ありがとうの言葉を望んでいるのではない。
でも、気づいてほしい。
わかっていてほしい。
その思いは強く、
夫に手紙を書いたこともありました。
「私は、あなたのためにこういうことをしている。
感謝はいらない。ただ、わかっていてほしい。」
けれどそれも、幼少期からの反応でした。
クミコさんは、小さい頃から母親に
「言われなくてもわかるでしょう」
と繰り返し言われて育ったのです。
窓に手の跡がついていれば叱られる。
「言われなくても察して拭きなさい」と。
そのうち、
仕事で大変なお母さんが不機嫌なのが嫌だし、
お母さんが笑って褒めてくれるほうが嬉しいし、
察して、言われる前に立ち回るようになっていました。
だから彼女の中では、
“察すること”は愛であり、当然であり、義務でした。
でも私は伝えました。
「言われなければ、わからないんですよ。」
彼女は強く反論しました。
「でも、言われなくても…!」
その必死さの奥に、
どれだけ長い間“察すること”を背負ってきたのかが見えました。
⸻
夕食のこともそうでした。
「夕飯がいるかいらないか、早めに連絡して。」
「いる」と連絡が来たから作ったのに、
急に飲み会になったなど、予定が変更になると
怒りが爆発する。
作った料理を前に、半狂乱になる。
「こんなに作ったのに、どうしたらいいの!」
これも彼女にとっては、普通のことでした。
世の中の主婦は、皆そうだろうと思っていました。
「次の日に食べたらいい。」
でもそれは、クミコさんにとって、
そう簡単には済まない話でした。
その奥にあったのは、
変更になったことへの怒りではなく、
「私がこんなに一生懸命作ったのに
ないがしろにされた!」
という強い叫びでした。
それは、
私の存在を認めてほしい!
私の存在を大事にしてほしい!
私を無視しないで!
幼少期、お母さんに対して
感じて、願った感情による「反応」でした。
食卓では、いつも
夫の食べ方をだらしないと注意する。
箸の持ち方を注意する。
理由は、
「外で恥をかいてほしくないから」
これも、幼少期にお母さんから
「外でちゃんとしないとお母さんが恥をかく」
といって怒られていた「記憶」が反応していました。
もちろん、クミコさんは無意識でした。
夫の食べ方を注意するのは、妻なら当然、
そう思っていました。
でも、その時間は
夫にとって、子どもにとって、
どれほど息苦しいものであったでしょう。
彼女は、少しずつ気づき始めました。
⸻
私は問いかけました。
「あなたは無意識でしたよね。
でも、それは旦那さんを
苦しめていたかもしれないと思いますか?」
彼女は静かに頷きました。
でも同時に、
彼女の行動はすべて、幼少期に培われた“反応”でした。
クミコさんは、ずっと苦しかった。
でも、同時に家族も苦しかった。
それに、やっと気づき始めたのです。
TERESA’S MESSAGE
彼女の行動は、
悪意ではありませんでした。
性格でもありませんでした。
すべては、幼い頃に身についた“反応”でした。
反応は、
本人が悪いわけでもなく、
家族が悪いわけでもありません。
ただ、気づかないまま続くと、
大切な人を苦しめてしまうことがある。
そして何より、
自分自身を一番苦しめているのです。

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